2019/08/05 21:50
初めて海外旅行に行ったのは20歳のとき。バリ島に2週間ほど滞在しました。ニュージーランドでのワーキングホリデーを終えたすぐ上の兄が、数ヶ月前からバリを放浪しており、ちょうど良い機会なのでということでした。空港で出迎えてくれた兄の髪はくるくると伸びていて、肌は現地人以上に黒かった。
初めての外国。言葉の通じない、蒸し暑く独特な臭いがする国で、滞在中私はずっと緊張状態でした。ガイドブックには、いわゆる治安の悪いとされる地域が記されていたりと、とにかく怖かった。そんな中でも、バリの鮮やかな空や緑や市場や装飾の色はとても刺激的で、日々鮮烈な印象を受けました。怯えながら、クタクタに疲れながら、見るものすべてを静かに記憶に刻んだと思います。スクーター2人乗りでバリ島を半周したこの旅行を機に、私は爆発的に異国への興味を膨らませました。と同時に、英語で喋れるようになりたい!と士気を高めるのでした。
その1年後、大学の夏休み短期英語留学で1ヶ月間フィリピンのネグロス島へ。英語の勉強よりも、電気の通わない村での体験や現地の人たちとの関わりが記憶に残っています。卒業後はアルバイトで1年間ほどお金を蓄え、ワーキングホリデーでカナダに。この頃にはとにかく日本を飛び出したかった。主に西海岸沿いをめぐり、アメリカに立ち寄りつつ1年半後に帰国。またしてもアルバイトで貯金をし、再びワーキングホリデーでニュージーランドに行きます。ここでは1年弱を過ごし、最後は体調を悪くし帰りました。
この長い濃厚な20代、一言で表すなら「修行」かなと思います。自分の選択で行った場所、やりたくてやったことでしたが、20代の自分は何に対しても白黒をはっきりさせたがるところがありました。決めたことは守りきりたい。でも中途半端な自分に常に嫌気がさしていました。成長したかったし、いつも正解が知りたかった。
時は過ぎて36歳。ここ数年でようやく感じ始めているのは、正解なんてどうやら無いらしいということ。もしくは、無限にある答えは全部が正解なのかもしれないな、とか。そう思うと20代の頃に背負った肩の荷が下ります。
そういう意味でも海外で過ごした時間は、私にとって何ものにも変え難い宝です。向こうで出会った人たちの多くが、度々私の固定観念を打ち崩してくれました。彼らはファンキーで、オープンマインドで、ユーモアがあり、何より自由で楽しそうでした。白黒どころか、カラフルな色があることを教えてくれる人たち。すぐには心を開かない私にとって、そういった人たちは憧れでもあります。
悔いが残るとすれば、最後まで英語を思うようにはほとんど話せないまま帰ってきたこと。旅先や現地でのアルバイトで、場当たり的な習得はしましたが、もっと本格的にどこかでアカデミックな学び方をすればよかった。今のところ、以前のようにすべてを止めてポーンと海外で暮らし始めるようなエネルギーはないので、惜しいことをしたかなと思います。
ひとたび日本での生活が始まると、私などは、知らず知らずのうち次第に自分のルールに縛られていきます。最近、またそんなことを少し感じたり。視界が広がるような異文化体験を思い出し、ここ数年落ち着いていた海外旅行熱が高まってきました。
旅が足りていないなぁ。
木版画 2005年