新しい町に住み始めてまもないので、散歩ばかりしています。
のどかで良い町です。遠くに山が見え、公園も多いし、小さな森林もある。公共施設も充実し、地域のつながりも活発そうです。この町に向こう十年は住んでもいいんじゃないかと半分本気で思ったり。それだけ自分の知らない良い町ってたくさんあるんだろうな、きっと。
今日は午前に一度、午後にも一度、目的もなく歩いてきました。
住宅地を彷徨っているとき、立派な庭がある大きな二階建てのお宅の門に、プラスチック製の青い札が掛かっているのを目にしたのですが、白の文字で大きく「組長」と書かれていて、思わず二度見して足を止めてしまいました。
私が小学校高学年の頃、実家の目の前の一軒家にいっときその筋の人が住んでいたことがあり、その家の玄関横には何やらアルミホイルで包まれた表札があったのです。普段は決して人に見せてはならぬ、というわけです。どんな人が住んでいたのか、小学生の私には知るよしもなかったのですが、親からその筋らしいと聞かされ、実際にものものしい黒い車が何台も家の前に停まったりしていました。
ある日には、家の前で遊んでいると、50メートルほど先の曲がり角にグレーの乗用車が長い時間停車しています。車の脇にはスーツ姿の男性が立っているのですが、明らかに件の家を「見張って」いるのです。私も訝しげに男性のほうを凝視してみると、急にゴルフのスイングの真似をし始めたりなんかして余計に怪しいのでした。
また別の日には、家の前で自分の自転車の拭き掃除をしていたら、斜め前に停まっていた黒い車から出てきた黒い服を着た丸刈りのおじさんに、「偉いね、おねえちゃん」と笑顔で声をかけられたこともありました。おじさんはおそらく運転手で、誰かを待ちながら時間を持て余しているようでした。怖がり屋で恥ずかしがり屋の私はヘナヘナと笑い返したあと、そのまま俯いて早々に掃除を切り上げましたが、心の中で、ああいう世界の人は堅気の人間には優しいという噂は本当だ!と感心した覚えがあります。子供なのでね。
そんなわけで、今日「組長」という青い札を見た途端、当時のアルミホイルで隠された表札が思い出され、こんなにも堂々と…、と一瞬本気で考えて立ち止まってしまったのでした。もちろん、自治会か何かのことだろうと思い直し、そのあと別の二軒のお宅にも「組長」の青い札が掛かっているのを見て、だよねと納得しました。
ちなみにあのアルミホイル、記憶の限りでは一日だけ外された日がありました。玄関前に何人も人が行き来していて、特別な日だったのかもしれません。現れた木札には黒字で何か書かれていましたが、玄関は通りから少し奥まっていたので文字は読めなかったか、よく覚えていません。それにしてもアルミホイルで隠すなんて、逆に目立つとは誰も考えなかったのでしょうか。
知らない町歩きは小さな発見の連続。面白くて好きです。
木版画「先生とイラクサ」2018年