2020/05/10 19:31

 春先あたりから、コミュニケーションについての本を何冊か読んでいます。んむ...なるほどぉ......と、思わず何度も唸らされました。コミュニケーションが滞ってしまう例としていくつものケースが挙げられていて、ほとんど全てが少しずつ自分に当てはまり、反省でうなだれます。が、一方で、窓が開かれ新鮮な風が自分の中にふぁ〜っと通るような気持ち良さがありました。


 私は小さい頃から人間関係を維持するのが不得意です。好奇心は旺盛で、人とのふれあい自体は比較的好きなので、新しい関係もそれなりに次々と広がっていきます。ただ、なぜなのか、それぞれのつながりに次第にプレッシャーのようなものを感じ始めてしまい、そこから一歩、二歩と後ずさりし、終いにはロケットにひとり乗り込んでドピューンと別の星に飛んで逃げてしまいます。

 真面目でストイックなこともあり、知り合ってから良いつながりを持てると、どうしてか心のどこかで相手に忠誠心を誓うようなところがあります。良い関係を維持しようと注力しすぎるのかもしれません。けれど、距離の保ち方が分からず、急に親しさを求め過ぎたり求められたりするとパニックに。勝手に抱いた忠誠心は当然背負いきれなくなり、とても短絡的に関係を断絶してしまいます。そのため誤解も招きやすく、傷つけてしまったかもしれないひとたちにはごめんなさいという気持ちです。

 今までは、少し大げさでも、生まれつき私の人格に何か欠陥があるのだろうと思って生きていました。これはたまに自分を絶望的な気分にもさせました。ところが、学問や医学としてのコミュニケーション法を知ると、そうではないと冷静にとらえることができます。

 私のロケット逃避行は、あらゆる要因が重なって成熟し損ねたコミュニケーション力の低さによるものだと。長いこと放置して病的にパターン化した、ひとつの癖のようなものだと。
 そうして考えてみると、ワーキングホリデーでカナダやニュージーランドに行ったのも、WWOOFで四国九州に農業体験に行ったのも、アルバイトを転々としたのも、SNSをバツンと打ち切ったりするのも全て、あらゆるつながりからの逃避癖だったかもしれないと思い至ります。もちろん、それぞれ別なたくさんの希望や目的があってのことではありましたが。いずれにせよ、自分の行動パターンや癖を理解しておくのは、生きる上でとても役に立つようです。

 というわけで、一歩ずつ訓練中。不器用な自分がどうやったら自分のペースを守れるのか。些細なことでも、自分がどう思ったのか、どうしたかったのか、それをどう伝えれば良かったのか。思い出しては書き出して頭で整理します。長い間、これでもかと自分に向き合ってきたつもりが、ここからは別の方法でさらなる旅路です。言葉の筋トレ。実践はうまくいかなくても、風を通したから換気はオッケー。人生ってこうやって少しずつ流れていくんですなぁ。


木版画『ことばにならない』2011年