ミスドの法則 | あぁ、楽しや木版画!

2021/06/18 20:10

 私はドーナツが好き。
 ミスタードーナツに行くと選ぶものはいつも同じ。オールドファッションとココナツチョコレート。たまにどちらかが無いときにはチョコレートかダブルチョコレートを頼むことがあるけど。
 モチモチしたポンデリングは好きじゃない。なんでこの商品がミスドにあるのか理解できない。私がドーナツに求めるのはモチモチ感よりも喉を詰まらせるようなパサパサした濃密な粉感。牛乳とかで流し込むのがたまらない。

 数ヶ月前、スカッと晴れた日に洗濯物を干しながらふと思った。私のミスド愛ってちょっとやそっとじゃ揺らがないんだなと。
 初めてポンデリングを食べたとき全然好みじゃなかったのに、ミスド愛に変わりはない。なんかこれ乾いてるなってドーナツにたまたま当たったり、嫌な感じの店員(覚えてる限り今のところ無いけど)に当たったとしても、たぶんよっぽどのことがない限り、私はまたミスドに行くと思う。もう一生来ねーよ!とはならないと思う。これが信頼ってことなのか、と。

 放っておいた乾いた洗濯物をたたみながら、続けて考える。この信頼ってのは人間関係にも応用できるのでは?
 自分自身のことを受け入れがたいときがあるけど、ミスドに例えちゃえばいいんだ。家族や他人のことも。「あー、私ってダメだなぁ、マジでポンデリングだったわ」とか「あの人のああいうところ、私には理解出来ない。ほんとポンデリングだわ」とか思えれば、案外大丈夫なのかもしれない。ミスドっていう存在として受け入れればいいんだもの。ミスドみたいな存在をいくつも持っていれば、人生ってなんとかやっていけるのかもしれない。思えば母との関係が良い例で、もともと仲は良かったけど、 対話を重ねたこの一年で母は私にとっての本当のミスドになったと思う。

 もちろん、ポンデリングが好きな人もいる。私にとってのポンデリングな過去や現在も、誰かにとっては私のオールドファッションなのかもしれないのである。私自身がいつかポンデリングをふいに好きになる可能性だってある。

 人間関係にどう応用すれば良いのか、結局まだイマイチよくわからない。でも、この感じをどうも覚えておきたくて、私はこれを「ミスドの法則」と命名し、ときどき思い返している。

 ミスドが近所に無いから食べる機会は年に数回か半年に数回か、それくらい。次に行ったときポンデリングを頼もうとはやっぱり全然思わないけど、ミスドは安いし美味しいし、私はミスドが好き。