2021/12/11 19:43

アフガニスタンで日本人男性が殺害される様子が、動画でネットに流れたことがあった。
2004年。動画を見たという次兄は気持ちが昂っていて、見たものを大まかに説明してくれた。
私はただでさえ、映画の痛々しいシーンや血生臭いものが苦手なので、もちろんそんなものは見ない。見ないほうが良いとも言われたし。

その日から、ときどき、自分の喉もとを後ろからナイフで切られるイメージが浮かんでしまうようになった。映像としてハッキリ見えるわけではなく、「起こったら怖い」というくらいの悪い想像みたいなもの。そのうち、なんとなく音も聞こえてくるような気がしてきた。

当時私はワーキングホリデーでカナダに行くことをもう決めていてアルバイトをしながらひたすら貯金する一年間を過ごしていた。楽しみな気持ちと同じくらい不安があった。下調べ中に「カナダで起きた事件ファイル」のようなものを見てしまったことがあり、それらの事件のイメージがアフガニスタンの事件と勝手にリンクした。そのせいもあって、準備期間の一年で、ナイフの悪い想像は不安と比例するように確実に回数を増やしていった。

出発が近づいてきた頃、近所の心療内科で一度診てもらうことになる。女医の院長先生は「カナダに行って楽しく過ごしたらそんなのすぐ忘れちゃうわよ」と励ましてくれ、特に何も処方されたりしなかった。
2006年からのカナダでの一年間は楽しいことも過酷なことも目まぐるしいほど溢れる濃厚な時間だったので、正直その悪い想像がどうだったか、あんまり覚えていない。でもイメージが消えたわけじゃなかったと思う。

帰国後、懲りずにまたバイトをして、次に行くと決めたニュージーランドへの資金を貯めた。
2009年に渡ったニュージーランドでの生活は、カナダのときより過酷さが減って少し気持ちに余裕が出た旅だった。はずなのに、半年ほど経った頃から身体が鉛のように重くなり、みるみるうちに痩せていき、アトピーも軟膏では手に負えないくらい悪化した。一年滞在し、ほとんどふらふらの状態で帰国。

日本ではその身体のままバイト生活再開。怠くて怠くて、しんどかった。
ご飯が食べられなくなってきたことも辛かった。喉が詰まった感じで、量を食べられない。食べるの大好きなのに。
例の悪いイメージも頻繁にわくようになっていた。バスは一番後ろの座席でないと落ち着かなくなった。後ろに人がいると不安。青空を見上げるのは喉もとを晒すようで怖かった。タートルネックを着ると少し安心した。
そんな状態の生活をちょうど一年ほどしていたとき、東日本大震災が起きる。

テレビの画面越しに震災の残酷さを連日目の当たりにしていると、あれよあれよという間に朝起きるのがどうでもよくなってきた。洋服を着替えるのも髪をセットするのも面倒になってきた。身体がとてつもなく重い。とにかく一日を過ごすのがしんどい。喉まで何かが上がってくる感じ。なんとか食べているつもりでもどんどん痩せていった。体重も37kgになっていた。

内科で血液検査に胃カメラ、漢方、心療内科で抗不安薬、入眠剤、カウンセリング等々、通院の数々を経ても虚しくなるほど改善の兆しが無かった。冬に入る頃にはナイフのイメージも毎日のようにわいてきて止まらなくなってしまった。家にいても気持ちがソワソワするようになり、音楽を聴けなくなった。最終的に東京医療センターの精神科を紹介される。
建て替えたばかりの新しい大きな病院で、家からも近かった。初診の日、仏みたいな笑顔の科長にさっそく翌日の入院を勧められ、そうなった。私はもうなんでも良かったし、このどうにかなってしまった身体を、ただただとにかく治してほしかった。ストレスといわれても原因が何なのか、そのときの自分にはよくわからなかった。身体がいうことを聞かなくなったことが一番悲しかった。

身体よ、動いてくれてホントありがとう。今は心底そう思う。
10年前のちょうど今月のこと。そこから3ヶ月半病院で過ごす。