2022/05/12 22:01
おおちゃんは小学校の同級生。3、4年生のときクラスが一緒で仲良くなった女の子。
互いの家をよく行き来して、私たちはいつもふたりでゲラゲラ笑っていた。
当時、私は周りのひとに「はなちゃん」とか「はんちゃん」と呼ばれることが多かったけど、なぜか、おおちゃんには「ほっちゃん」と呼ばれていた。
おおちゃんはよく喋り、勉強が出来て、正義感があり、人気者だった。髪はサラサラしていて、背は私と同じくらい低かった。
一緒にいると楽しくて心強くて、私はおおちゃんが大好きだった。
クラスの男子もまた、おおちゃんが好きだった。
例えば、あるとき、数人の男子の中で、クラスメイトの椅子の座面にこっそり木工用ボンドを垂らす悪ふざけが流行ったことがあった。
ボンドに気付かぬ人は、私も含め、まんまとその上にヌチャっと腰を下ろすはめになった。
のだが、おおちゃんの椅子は最後まで無事だった。誰もおおちゃんの椅子にはボンドを垂らさなかった。
おおちゃんはすごい、おおちゃんはいいな、と私は羨ましかった。
4年生の終わる頃だったか、おおちゃんは家族で東京から岡山に引っ越すことになり、転校してしまった。しばらくは手紙のやりとりをしていたと思う。
その後、6年生の頃か、それとも中学生になったあとか、おおちゃんが東京に来ることがあり、会う約束をした。メールなど無かったわけだし、家の電話で連絡をとりあったのだと思う。
数年ぶりに会うおおちゃんは、見た目が少し大人びて、背も少し伸びていた。お土産にきびだんごをくれ、岡山の学校の話を聞いたりした。
私は、照れもあったけど、なぜか昔と同じようには打ち解けられなかった。おおちゃんの世界と私の世界は、もう全然別の場所にあるような気がした。その変化に、悲しいような腹が立つような、申し訳ないような気持ちになった。
あの日、私の家には、どういうわけか、エメラルドグリーンのアフロのカツラと、黒いサングラスがあった。別れの時間も近づいて、おおちゃんが、これをかぶってプリクラを撮ろうよ、と言ったのに、私はそれをたしか、やんわり断った。おおちゃんが残念そうな顔をしていたのは覚えていて、後々、小さな後悔として胸に残った。
おおちゃんとはあの日以来会っていない。連絡先も住所も、もうずっと分からない。
私の記憶とおおちゃんの記憶とは、全然違うかもしれないけど。
今、おおちゃんと会ったら、カツラかぶってプリクラを撮りたい。おおちゃんのためでなく、自分のために。絶対、楽しいと思う。
もし、また会えたら、やっぱり「ほっちゃん」と呼ばれるだろうか。そうだと嬉しい。