2022/08/12 20:12
忙しい日も、そうでない日も、この夏私は眠くて眠くて。
夏の昼寝は幸せです。
ある晴れた日、踏切の信号待ちでふと視線を歩道脇に落とすと、1枚の50円玉と目が合いました。
雑草と雑草のあいだのコンクリートの上で、ポカンと口を開けてこちらを見ています。
お、ラッキー。瞬間的に「拾いたい」と思いましたが、そう簡単にはいきません。
人目というものが気になります。自意識、急上昇。
線路の向こう側に、人がひとり、ふたり。
すぐ右を向けば車道に信号待ちの乗用車が一台停まっていて、助手席のサングラスをしたご婦人とちょうど目が合いました。真っ黒いサングラスと笑った口元が、「拾うの?」と私に問うている……
いやいや、あの人たちには見えていない。
でも、屈んで50円玉に手を伸ばし、当然のようにそれをポケットに入れ、何事もなかったかのように前を向き直し、再び踏切が開くのを待って歩き出す、というのを、どうしてもプライドが許しません。終いには後ろにも人が来ちゃったし。諦めました。
これが10円玉なら、ちりも積もればといえども、拾おうとは思いません。
100円玉だったら、そりゃあ拾えたら嬉しいけど、あんまりワクワクしないというか。
500円玉ともなると、拾えても拾えなくても、ちょっと心がざわついてしまいそうです。
50円玉、というのが絶妙でした。
翌朝。明け方に家を出て、バイトに向かいました。
この時間、町はまるで寂れたゴーストタウン。人影はほとんど無いに等しい。私はそこを歩くのが少し好きです。旅気分になれるので。
50円玉のことなどすっかり忘れていましたが、いざ線路を渡ろうというとき、急に思い出し、そして閃きました。今なら拾える!
すると、もう無かったんです。50円玉、昨日の場所に。
あ、誰かは拾ったんだな、と。
ちょっと可笑しかった。
あるいは、あの50円玉、各地を旅して現れては、私のような人間をからかって回っているのかもしれません。