2022/10/03 20:29

先日、ホームセンターでCRC556、の類似品を買って、ついに網戸に油を差した。

開閉のたびに動物の悲鳴みたいな音を上げていた網戸。

どうにかしなきゃと思いながら半年も過ぎて、ようやくです。

今ではスラーっとスルスルーっと静かになって、私も気持ちがスーッとした。


網戸のことを考えると、思い返すことがあります。

おととし学んだこと。


「ハナさんは、自他の境界線が今、網戸になっているんですね」

と、コロナ禍の少し前から数ヶ月ほど通った対人関係療法の一番最初に、説明を受けた。

通常は、自分と他者との間には窓があって、お互い相手の領域には立ち入れない。

網戸であると、言葉も感情も境界線を通り抜け、振り回し、振り回されやすいのだ、と。


といっても説明のトーンに否定的なものは無く、人ってときどきそうなるんですよ、という感じだった。

だから、窓にする練習をしていきましょうと。


窓にする練習、あれからあらゆる場面で役立っている。

網戸にすっかり慣れてしまって、なかなか難しいけど。


たとえば、こういうとき。


父は私が中学生のときにはもう、母の他に別の人と関係して家を出た。

円満離婚とは程遠く、私には受け入れ難い出来事であった。


結婚してから別の人を好きになるってこと、まあ当然あるだろうなと今では思う。

離婚は夫婦の問題、私が責めるのはお門違い、と頭では理解している。

両親はどのみち合わなかったわけだし。

なにより、当時マグマのごとく怒りの炎となった母は、もう平穏に今を生きているし。


なのだけど、私は今だにときどきふと思い出して、どうにもこうにも腹が立つ。

胸の奥の底の底に、怒りと呆れが渦巻いてしまう。

母から燃え移った炎ではもはやない。私の個人的な炎だ。

ああー、わからない。まったく理解出来ない。モンモンモン……


と、いうときに。

ああこれが網戸か、と。


モンモンとしたら、窓を閉め、私は私の生活を。

窓にする練習って、きっとそういうことですよね。

そういうことをくり返しやっていくことなのだろうと思っています。