2023/05/24 20:03
2011年の12月から翌年3月まで、実家近くの総合病院の精神科に入院していた。
開放病棟で、外科や内科の入院病棟と見た目はほとんど変わらない。
10年以上前のことでも、そのとき居合わせた患者さんたちのことをときどき思い出す。
同室の人たちは皆優しく、談笑もしたし、不安を打ち明けあったりもした。
疲れ果てて同じ時期に同じ場所に流れ着いたような人たちで、抱える事情はそれぞれ違ったけど、誰も望んでこうなったわけではない、という点で痛いほど共感できた。どんな病気も事故もきっとそうだろう。
入院を可能にする支え(私の場合は家族)があった、という点で恵まれた人たちでもあったと思う。
認知症と思しき症状がある高齢者も幾人かいて、ある女性は底抜けに明るいのだが主治医の名前や日付を覚えられないと言っていた。
食事の時間になると、ナースステーション前の広い空間に患者が集まってくる。
ここは食事以外の時間には自由スペースとなり、面会に使ったり、ときにラジオ体操の場にもなった。
どこに座っても良し。周りには色々な患者がいた。もちろん全員精神科に入院中の人たちである。
思い出すのは、ヤギのような風貌のヤギじいさん。ヤギじいさんといえば食パン派だった。
主に朝食など献立が洋風のときは、袋入りの食パン2枚と個装のバターポーション1個が付くのだが、ヤギじいさんに限っては3食全て食パンだった。
主菜が肉じゃがだろうが、春巻だろうが、ヤギじいさんのお盆に白米が乗ったことは一度もなかったと思う。
ヤギじいさんは食パンを麦茶に浸して食べる。おかずの皿も全て空にしたあとで、最後におもむろにバターポーションの蓋を剥がし、ティースプーンで掬って食べる。独特な食事スタイルで、私はそれをただただ見ていた。
小柄で寡黙なヤギじいさんだったけど、ときどき急に「次の団体さんを呼んでもいいですか」とか脈略のないことを言い出したり、ある日の食後に突然立ち上がり、「〇〇(自身のフルネーム)はここにいます!」と大きな声を出したりした。
それもあって、直接話したこともないヤギじいさんのフルネームを私は今でも覚えている。
今も生きておられるとしたらかなりのご高齢であろう。
ヤギじいさんも私も、たしかにあそこにいたのだ。
そして今も誰かしらが入院しているのだ。巡るかのように。
そう思うとちょっと不思議な感じ。
あのときの自分を抱きしめるような気持ちで、今の自分を労わるのだ。