2023/12/17 20:16

金曜日の夜、武蔵野公会堂で前野健太デビュー15周年記念ライブがあった。

大きな会場でライブを観るのは久しぶり。マエケンが、スターが、なんと遠いことか!

今年はMANDA-LA2という小さな空間で何度も、唯一無二のライブをあんな間近に観ることが出来ていたのかと、その尊さを再確認した思いである。


ところで今回、なんだろうか、人がたくさんいるからだろうか、冬だからか、終始私はちょっとした孤独を感じていた。

宙ぶらりんな、ひとりぼっちな気持ち。ライブが終わった後もそれについてしばらく考えていた。


何年か前に母が、「ひとは誰もが孤独。生まれてから死ぬまで本質的には孤独、ひとりなのよ」というようなことを言い、当時私はそれを、まだ全く理解出来なかった。それどころか、腹が立つくらいだった。なんでそんなことって。

それが年を経て、あるとき不意に腑に落ちた。今では母の言う意味が身に沁みる。

コロナ禍もあったりなんかして、人間とは本当にその通りだった。


たとえば、人の本質を球体として、立方体でも何でも良いんだけど、向き合ったときに私から見える相手の一面は限られる。

後ろ側や側面は見えない。じゃあ後ろに回り込んで見てみても、今度はその反対側が見えない。見たくても知りたくても、見えない知り得ない。絶対に、一生。

もっと言えば、その球体の内側には宇宙のような未知なるふくらみまでもが存在している。

逆も然りだ。自分の心をぴったりわかってなどもらえない。誰にも。


この圧倒的事実。さみしい、暗い、なんてもんじゃない。これは絶望の話である。

孤独にもいろんな種類があるのだろうけど、母が言っていた孤独とはこういうことだったのだろうかと。

人と人は分かり合えると愚直に信じて生きてきた私のような人間には、衝撃の事実だった。

ともすれば今でも、理解し合えるんじゃないか、などと真っ直ぐ目の前だけを見ていることに気がついて、ブルブルッと頭を振りほどく。そんな容易いものではないと、孤独に打ちのめされる。


でもこの絶望をなんとかやり過ごして、人は生きていかねばならぬのです。

母の言うところの、生まれながらにしてそういうもの、というのを知っておくことは、私にとっての大切な一助になった。

そもそも分かり合うことが全てではない、と知った。


一方で、今回のライブを思い返して今浮かぶのは、会場の電球や、集まったお客さんたちの温かな雰囲気。

「いのちのきらめき」ピアノ弾き語り。アンコールに、白い、あれはパジャマ(?)姿で出てきたマエケン。

人と人が笑顔になる、再会を喜ぶ、好きなものについて語る、何かを”一緒に”体験した興奮、共同体感。


以前何かの記事で読んで気に入った言葉があって、ノートに書き写しておいたそれをまた見返してみた。

80代の被爆者が小学生に語ったというもので、


「人を好きになってね。人を好きになることはすごく幸せなこと。自分も好きになってもらえるんです。おじいさんは今、それを感じています」


私はこの言葉がすごく好きで、いいなあと思っていて。

それで、ライブが終わって明かりがついたとき会場を満たしていたものは、こういう幸せだったような気が今している。

今回のライブに限ったことでもなく、どのライブでもそう思う。これは人と人が生み出す幸せ、希望の灯りである。


孤独と幸せ、きっと対極ではないんだな。同時にあるものなんだ。

だとしても、だからこそ、やっぱり人の気持ちはゆらぐんだ。いつだっていつまでも。

と、街のイルミネーションぼんやり眺めながら思った。

そういうゆらぎを、マエケンはずいぶんと昔から歌ってきたんだな、とも。


来年は新しいアルバムを制作するとのことで、それを楽しみに。よーし私も頑張ろう。