2024/01/18 17:35

沖縄県うるま市浜比嘉島にある、「本と商い ある日、」に行ってきた。ただいま個展開催中。

友人の版画家山口あきさん夫婦とその息子5歳も一緒の愉快な旅だった。運良く天気も晴れが続いた。南国特有の植物、透き通る海のチャポンという波の音、石垣の家が並ぶ小道。あれがブーゲンビリア、あれがアダン、とあきちゃんに教えてもらった。


「本と商い ある日、」は想像以上に辺鄙な離島にあり、想像以上に気持ちの良いお店だった。店の壁のペンキを塗り、テーブルや棚を作り、喫茶のレアチーズケーキまで自分で作って、今度オーブンも買うつもりと話す店主の高橋さんは一体何者なんだろう。最近島のおじいのバナナ畑の手伝いも始めたらしい。


ワークショップの日に、強烈な出会いがあった。忘れてしまう前に書き留めておきたい。


開店後まもなく、真っ黒に日焼けした白髪のおじさんが店にやって来た。4軒先のウダです、と自己紹介してくれた。ほぼ毎日お店に来る友達です、と高橋さん。ニコニコして展示の感想を伝えてくれるウダさんに少し版画の説明をしたりして、個展はこういう時間がなんとも楽しい。ウダさんは、金城実という浜比嘉島生まれの彫刻家の伝記を書くため、数年前この島へ移住されたという。移住前は奈良で古書店を営まれ、本を出版したり、その昔、河瀬直美監督の映画『殯の森』に俳優として主演もしたという、面白い経歴の方だった。

「金城さんがあとで来るかも」と言い残し、ウダさんは一旦帰っていった。


ゴム版画ワークショップの参加者は、自分も作りたいと一番に申し出てくれた高橋さんのひとりだけだった。助っ人をお願いしていたあきちゃんと、ふたりがかりであーだこーだとレクチャーして楽しかった。

ワークショップ受付終了時刻の15時をまわり、わたしたちは道具を片付けて、貝殻拾いに浜へ向かうことにした。道すがら、琉球神話の女神アマミチューの墓に立ち寄る。賽銭を入れ、ふたりで手を合わせた途端、私のスマホが鳴りだした。

高橋さんからで、「金城さんがいらしたのでよろしければ」とのこと。あきちゃんは少し迷った末、一旦一緒にお店に戻ることにした。


お店のカウンター前にウダさんと並んで座っていたのは、長老とも呼べそうな外見の、少し背中の曲がったおじいさんだった。椅子の上で胡坐をかいている。金城実さんはしゃがれたデカい声で話す、強烈なキャラクターだった。金城さんはこのとき酔っ払っていたらしい。私はそれがもともとの個性かと思って、酔っているとは感じなかった。他に気さくな女性と男性がひとりずついて、金城さんのことを「先生」と呼んでいた。すごい彫刻家であることは、旅から帰ったあとネットで調べてようやく理解した。


わけもわからぬままあきちゃんと私はその輪に加わらせられ、椅子に座らされた。金城さんのルーツの話か何かが繰り広げられている。金城さんの独壇場である。展示を見てくれるというわけではないのだろうか、、、。これは長くなりそうだ。あきちゃんがあとあと言った言葉を借りるなら、最初は「やべえところに来ちまった」と思った。


金城さんはわたしたちをおそらく学生か何かだと思って、「このこどもたち」と呼んだ。そしてそれは突然「クソガキ」呼ばわりになり、あきちゃんと顔を見合わせ吹き出した。すかさずウダさんが、金城さんの「クソガキ」は愛情表現の最上級だから大丈夫、と手でオッケーマークを作ってフォローしてくれた。たしかに金城さんに悪気は無いらしい。クソガキ、バカ、おまえ、、、それにしても口が悪すぎる。


なんだかんだと次第に惹き込まれていくわたしたち。

「近頃は自分の祖父母の思い出や、自分が "どこから来たのか" というのを考える若者が減っている」

岩みたいな顔と真っ白なひげ。優しく鋭い眼光で睨みつけ、ドスの効いた声で金城さんは問いかけてくる。

「お前はどう思う。それを聞かせてくれ」

「ウェアドゥユカムフロム、ハウドゥユリブ、ウェアドゥユゴー! こういうことだ!」

「どこで生まれて、どう生きて、どこで死ぬか。これだ! わかるか!」

英語教師だったという金城さん。高橋さんが作ったカウンターテーブルを、興奮するたび拳でバコン!とたたくので、まだコーヒーの入っているやちむんのマグカップがその都度飛び跳ねた。まるでジブリのアニメみたい。


しばらくすると立ち上がり、隣の部屋の展示を見てくれた。すぐ戻ってきて立ったまま話し始めた。

「これはな、なかなかいい。このこどもたちの絵は明るい」

「俺と真逆だ。当たり前だ。このこどもたちは戦争を知らない。俺は7歳で沖縄戦を経験した」

「俺の表現は怨念と怒りだ。俺はな、しつこい」

「このクソガキどもは明るい絵を描く。それでいいんだ」

みたいなことを。


私ももちろん平和は願ってる。つきつめれば、そういう思いも込めて制作しているつもり。

でも、戦争についてこう叫ぶこの長老を前に、何も知らない私が何を言えるというのだろう。私に言えることなど何もない。

怨念と怒り。金城さんが知る戦争の凄まじさを、私は知らない。金城さんを芸術表現へと突き動かすものと私のそれとは別次元にある。そう全身で実感した気がした。今だにある戦争もよぎった。

そこまで強い衝撃があったようには思わなかったのに、あれれという間に目に涙がたまってきた。私は手ぬぐいを両目に押し当てた。なんともいえない複雑な感情の揺さぶりがあった。私の願う平和とはなんだろう。あまりにも表層的ではないか。でもそれでいいんだと嬉しくもあった。日々のささやかな喜びをこうして作品にしてこれたのだという自負のようなものと、恵まれた境遇に感謝の気持ちが湧き上がって、泣けた。今振り返って検証してみると、そういうふうに思う。おとなたちが誰も気に留めていなくて良かった。


金城さんは喋り続けている。気づくと主題は恋についてになっていた。初恋、失恋、恋した女性の名前を指折り挙げていこうとする。結局ひとりしか思い出せない金城さんの目尻が下がる。お、珍しいねぇ、いつもはこんな話しないのに、と同席の男性。みんな美人だったのよ、金城先生面食いだから、と同席の女性。金城さんは睨むともニヤけるともつかない顔で、わたしたちに向けて叫ぶのだった。

「おい、バカども、いいか、よく聞け、人を愛するっていうのはな、命懸けなんだ!」

「おまえ、男を本気で愛したことはあるのか! ないだろう!」

同じ話を二度三度くりかえし、その都度あきちゃんと一緒に吹き出し、困惑し、混乱し、また笑った。


概して支離滅裂ではあったけど、それでも金城さんの熱のこもった言葉は生き生きしていて、相手のことばが心に届くとはこういう感覚を言うのだろうか。

金城さんは芸術表現についてこんなふうにも言っていた。

「自分の好きなように作っていけばいい。ただ、いつか必ず(戦争というものが)ひっかかるときが来る」

ウダさんも頷いていた。


たった小一時間の、濃厚な一期一会。そしてすでに薄らいできた思い出。いったいあれはなんだったのだろう。ひとりだったらここまで面白がれてはいなかったと思う。あきちゃんと一緒で良かった。あのとき、あの時間。たぶんそれが全て。あきちゃんと私、それぞれの中で分解されて溶けていく。

金城さんのゴツゴツした手の残像が浮かぶ。そして言葉が。


Where do you come from?

How do you live?

Where do you go?


ひっかかりを自覚するときが、いつか私にも来るのだろうか。



ウダさん(左)と、金城さん(右)

本と商い ある日、にて