2025/02/07 22:14
ここはよっぽど狭い店だろうとなぜか思い込んで、ずっと素通りしてきたドトールに初めて入店してみた。
すると、実際には中は驚くほどの広さだった。もうここでいいかという諦めムードでその店に入ったので、広々とした開放的な、しかも空いた店内を目にしたときの喜びといったらなかった。こりゃあいいと思った。
クロッキー帳と筆箱をテーブルに出して、図書館で借りた本やら、手帳やらも脇に並べて。家でコップをよく倒す私なので、水もコーヒーもこぼさないよう注意して。さあ、やろう、考えよう、という状況にもっていく。これが自分には良い気分転換。
部屋にずっといると気持ちが停滞するので外に出る。落ち着ける場が外にもあるというのはありがたいことだ。
図書館もいいけど、近頃はコーヒーショップの気分。アイデアが何も浮かばず、これという成果がなくとも、まあいいか、という気持ちで店を出られる気がする。
これをまたコメダなどでやると単価が高く、ついつい食べ物も注文して結構な値段になってしまう。でも空いたグラスにお水を注ぎ足し「ごゆっくりどうぞ」と声をかけてくれるのもまたコメダの良いところである。
一年ほど前に、「前向きな一杯」と題した版画を作り、それを個展タイトルにもした。なんだか今になって、そのフレーズがとてもしっくりきている。
コーヒーを飲むと、まあいいか、と思える。さあ、やるか、とも思えるし、よおし、やるぞ、と思えたりもする。前向きの度合いはその都度違えど、コーヒーを飲む前と後ではたしかにどこか気持ちが切り替わる。
「前向きな一杯」は、もともとはリプトンの黄色いパッケージに見つけたフレーズで、お茶でもコーヒーでも、飲んで一息つくという行為そのものにきっと何か懐深い効能があるのであろう。
私がコーヒーを飲めるようになったのはほんの数年前のこと。飲んでいくうち苦手だった酸味も好きになった。
店で飲み物の選択肢が広がったことは喜びだ。変な味だな、と思うこともたまにあるけど。
すっかり習慣化してほぼ毎日欠かさず飲んでいる。
「あ、まだ今日コーヒー飲んでないわ」とは、母の口ぐせで、その気持ちが今ではよくわかるようになった。