2025/02/16 19:56

日常の小さな偶然を一冊のノートに書き留めておく、というのを2020年の終わり頃から始めて、今も気まぐれに続けている。

集まってなにがどうということもない。でも読み返すと、そのときどきの偶然に遭遇した自分の心の弾む感じが、少しだけ蘇るようで楽しい。先日久しぶりにパラパラと読み返し、ふと、偶然といえばと、ナカノさんのことを思い出した。


ナカノさんは私が大学1、2年の頃にバイトをしていた焼肉屋の、キッチンスタッフの男性で、私が入ったときにはすでにベテランのように働いていた。お店を回すスタッフはホールもキッチンも、数人の社員以外ほとんどが学生で、ナカノさんも近くの大学に通う大学生だった。ひげモジャで刈り上げ。頭頂部にくるくるうねった髪が密集していた。チェーンみたいなネックレスを首から下げていた。ヒップホップな感じというのか。いかついナカノさんが仏頂面でいるとそれだけで威圧感があり私は少し緊張した。実際にはどちらかというと人懐っこい性格で、くだらない冗談ばかり言う人だった。笑うと目尻が垂れて顔がクシャっとなった。2、3歳年上であるナカノさんは当時の私の目にはずいぶん大人っぽく、おじさんっぽく映った。


ナカノさんは、化粧室に向かう女性客がキッチンの前を通りすぎると、すぐあとで「60点」などと見た目を揶揄する、下品で失礼な人でもあった。こういうところが理解しがたい、と軽蔑の思いで私が苦笑すると懲りずに「ハナちゃんは80点」「〇〇ちゃんは92点」と続けるような人だった。なんというか、住む世界が違うというのか、話が合うわけはない、信頼も置けない、と思っていた。その頃ただでさえ男性に対して苦手意識のあった私は、ナカノさんにも心の大部分を閉ざして接していた。


ナカノさんは帰国子女で英語が堪能だった。お店には稀に外国人のお客さんが来て、メニューの説明が通じないとき、私はキッチンにすっ飛んでナカノさんに助けを求めた。英語を話すときのナカノさんはとてもカッコよく見えた。心強い味方に思えた。


で、なにが偶然の話であるかというと、当時こんなことがあった。


ある日の勤務を終え、私がスタッフルームに入っていくと、中でナカノさんがひとり休憩中だった。

ナカノさんは椅子に座って文庫本を読んでいた。どういう流れだったか、私が見て気付いたのか、その本がそのとき私が読んでいたものとまさに同じで、それ私も今読んでます、という話になった。村上春樹の『風の歌を聴け』。兄たちと母が読み終えて、私に回ってきた本だった。

ナカノさんはすごく驚いて、今どこらへん読んでるの、と聞いてきた。これこれこんなところですと説明すると、ナカノさんは興奮して持っていた文庫本を両手でぐいっと広げてこちらに向けた。すげえ! 見て、俺も今ちょうどそこだよ! ナカノさんは笑いながら、ほとんど感動しているようだった。

たしかにすごい、と思った。驚いた。けど、なぜなのか、私はどこか半分冷めたような気持ちで、それはナカノさんが、というより男性という存在が、やっぱり少し苦手だったからなのか、すごい偶然ですねと口では驚きながら、お疲れ様ですと荷物を抱えてスーッと部屋を出てきてしまった。今さらながら、あれはたしかに感動に値する偶然で、今ならもっと一緒に驚いたり喜んだりしたのにと悔やまれる。


それからバイトを辞めて、さらに10年以上経った頃。当時のバイトの先輩と、facebookか何かを通じて連絡を取り合う機会があり、数人で集まり一度食事をしたことがあった。その際、ナカノさんはどうしているか聞くと、ナカノさんはアメリカでバイク事故で亡くなってしまったの、と唐突に聞かされ一瞬耳を疑った。思いもよらぬことで、悲しかった。

しかし、まるで付き合いのない期間がここまで長くあると、亡くなったという事実はなんとも実感が薄いものである。今もアメリカのどこかで、仏頂面からクシャりと破顔するナカノさんが、生きているような気がする。


ナカノさんは稀有な人であった。私のことをかわいいと言ってくれる、それも面と向かって言ってくれる人だった。天パーで性格もトゲトゲしていた、世の中の「かわいい」からおおよそ外れていたであろう私を「はなちゃんはかわいいね」とたびたび褒めてくれた。それを素直に受け取る心が当時の私にはなかったけど、褒められることは新鮮で嬉しかった。

ナカノさんと特別仲が良かったわけでもなく、写真もなく、すべては私の曖昧なうろ覚えの記憶の中の話である。