2025/03/23 19:36
10年メモ、という分厚い日記帳を買ったのは2018年。以来、毎晩寝る前に書くのが習慣になった。
何日か忘れても、あとで何かしら思い出して書く。何も思い出せず空白の欄もある。
一日に割り振られたスペースは、幅1センチちょっとの罫一行で、見開きで横に細長い。それが10行、上から下へと並んで、◯月◯日という日の10年分を見渡せる作りになっている。
1年前の今日、2年前の今日、何をしていたか、何を考えていたかが一目でわかるのが面白い。
まさに昨夜は、ああそうだった、と昨年の日記を読んで思い出した。
昨年の3月22日は、依頼をいただいた版画の制作中で、桜がモチーフのそれに苦戦していたのだった。
汚い字で綴られた日記全文はこうである。
「桜がうまくいっていない気がしちゃって不安になってイライラしてムシャクシャして母にtelして八ツ当たりした。かけ直してあやまった。なんかこの桜、桜自体が挑戦だし初めての感じのデザインだし、不安で気が狂いそうになったりする」
何もそこまでと今なら思えるが、当時はたしかにそうだった。彫っていくうち、良いのか悪いのか、だんだん自分でもよく分からなくなってきて、期待に応えられるだろうかと、母にその不安をぶちまけたんだった。
かけ直してあやまった、とあるのは感心だ、と思った。がそれより、1年前の自分には気が狂いそうなほど不安に思えたことが、1年後の今となってみれば大したことではない、ということに、ちょっと肩の力が抜けるようだった。
大丈夫大丈夫、とてもいい感じだよと、1年前の自分の肩にポンと手を置き、声をかけてやりたい。
今なら分かる、と人はよく過去を顧みるけど、つまり今のことについては、今はまだ何も分かっていない、見えていない。人間とはもともとそういうものなのかもしれないな。
となると、ジタバタもするし不安にもなっちゃうけどよろしくね。この先の自分に予めそう言っておきたい。
時が経つってすごいな。10年メモを読むとつくづくそう思う。